16歳3人でアメリカを冒険した話。(準備編)
こんにちは。シロクマです。
札幌は最近とてもいい天気が続いています。そんな中僕が何をしているかというと、「ゆっくり」していますw 夜中の2時くらいまでダラダラして、昼の11時に起きるという生活。
今日は、高一の春休み(2016年3月)に同級生二人と2週間アメリカ冒険をした話をしようかなと。
きっかけは修学旅行の行き先が変わったことだった。僕が育った北海道の中高一貫校は、6年間で修学旅行が一回しかなく、その代わり2週間のアメリカ研修!!!が計画されていた...
しかし、世界各国で頻発するISのテロの影響で、修学旅行の行き先がアメリカからニュージーランドに変更に!
2015年の10月に学年全員が体育館に集められて、校長先生からその話を聞いた。「ニュージーランドは羊しかいないので爆撃される可能性が低い」と。校長先生はもちろんジョークで言ったのだと思うが、僕は「羊しかいないとこに行って何すんねん!」と心の中でつっこんだのを覚えている。
僕はどうしても高校生のうちにアメリカに行ってみたかった。USAへの憧れってやつw
修学旅行には行かないっていう選択肢はもうその時から頭にあった。
家に帰ってその話を母親にすると、意外な言葉が。「あんたが本当にやりたくて、準備も全部自分でするなら、修学旅行のために用意したお金、全部あげるから、好きにしなさい」と。
僕は決心した。「わかった」と言った。修学旅行を辞退することへの抵抗感も多少はあったが、そんなことより、これから始まる冒険にワクワクが止まらなかった。武者震いがした。
そこから怒涛の冒険準備が始まった。目的地はオーランド、ニューヨーク、ボストン。
最初にして最大の関門は、ホテル。アメリカでは、ほとんどのホテルがホテルポリシーで18歳未満の宿泊を禁止している。たくさんのホテルにメールでアポを取ったが惨敗。全て断られた。そこで人生で初めて国際電話をかけようと思ったが、かけ方がわからない。「自分は海外へ電話もかけられないのか」と自分の無知加減に驚いたのを覚えている。ネットで調べるとすぐに出てきたので、かけてみたが、結果は同じ。どのホテルにも断られた。
ホテル探しにはほんっっとうに苦労した。結局2週間くらい探して、ようやくニューヨークの語学学校の寮に泊まれることになった。途中僕の考え方に賛同してくれた2人の友達が、計画に参加。うち一人が、オーランドの全てのディズニーホテルにメールでアポを取ってくれ、なんとかオーランドでの宿泊先もゲットした。(僕は一人で行くことにこだわっていて、彼らの参入を渋っていたが、結果的にはこの2人なしでは、この冒険は絶対に成功しなかった。)
ボストンにも行きたかった。ハーバード大学に行ってみたかったのだ。そんなときに学校で「ハーバードキャンプ」なるものが開かれた。ハーバードの学生が僕の学校に来てくれ、3日間くらいかけて授業をしてくれた。その内の一人、シェンさんにボストンでの宿泊先を相談すると、なんとハーバードの寮に泊めてもらえることに!!!
無事オーランド(フロリダ州)、ボストン、ニューヨークでの宿泊先が決まり、ようやく冒険の中身を練り始めた。ブロードウェイやNBAのチケットを自分たちで取ったり、ニューヨークの柔道の道場にメールを出して練習参加のアポを取ったり、ニューヨーク→ボストン行きのバスを手配したり。パソコンと付箋のたくさんついた地球の歩き方とずっとにらめっこをしていた。
旅行代理店にも行った。何かヒントやアドバイスがもらえないかと期待していたがほとんどが門前払い。うちでは16歳だけの場合はご案内できませんの一点張り。そんな中でもJTBだけは応援姿勢で話を聞いてくれ、JTBで旅行保険に入った。JTB大好きw
初めて銀行口座も作った(アメリカはカード社会なのでクレジットカードやデビットカードがないととても不便)。意外に簡単に作ることができた。人生で初めての経験が一気に押し寄せ、自分の無知を痛感したり、なんだか大人になったような気もしたりw この準備期間で随分と成長したと思う。
そんなこんなであっという間に時間は過ぎ、出発の1週間前。
そういえば、僕らは16歳3人でアメリカへ入国できるんだろうかとふと思い、ニューヨークの日本大使館に電話してみた。「入国は全く保証できません」「何かあったらどうするんですか?!」と説教の嵐。ただただ不安を煽られただけだったが、もうここまで来たら引き下がれないと覚悟を決めた。
出発前日。母親と焼肉を食べに行った。アメリカで万が一のことがあれば、これが日本での最後のご飯になるなぁと本気で思ったりして、「最後の晩餐」とか冗談を言っていたw 母親に「僕に万が一のことがあったらどうする?」と聞くと、「そん時はそん時でしょ。あんたが選んだ選択肢なんだからそういう人生だったんだよ」と。僕の母親は、肝が座っている。というか座り過ぎている。基本僕のしたいようにさせてくれる。放任主義とは似て非なるものがあるが...母親の寛大さに感謝しながら、この冒険を絶対に成功させてやろうと改めて強く思った。
翌朝早朝、緊張、不安、興奮、期待、いろんな感情が混じっていたが、圧倒的にワクワクしていた。「これからアメリカに行く」それだけでワクワクが止まらなかった。この冒険が僕にとって初海外だったのでなおさらだった。新千歳空港で二人と合流し、成田空港に向かった。これから冒険が始まる。
出国編に続く。
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